メッセージ〜いつも微笑みながら暮らせるマチをめざして
私は、まだ敗戦の混乱が残る昭和二十七年に留萌市錦町で生まれました。木造漁船の焼玉エンジンの音や道を行き交う石炭馬車を今でも憶えています。私が三歳の時、家族は北空知の幌加内町政和に転居しました。冬場、毎日のように雪が降り、たまの晴れ間はダイヤモンドダストが舞う酷寒の地でした。 豊かとはいえない生活のなか、政和の小中学校に学び、下宿をしながら深川の道立高校に通いました。そして高校生活を通して、過疎化が進む故郷の町々の厳しさを身をもって感じるようになりました。「国の役人になれば故郷のために何かできるかも」という漠然とした思いを抱いたのはこの頃です。 決して楽ではない暮らしでしたが、両親は大学行きを許してくれました。でも、願いを聞き入れてくれた両親にできるだけ負担をかけたくない。「行くのならば国立」と考えて東大を受験し、幸いにも入学することができました。学生時代はさまざまなことを経験しながら法律を勉強し、卒業後は迷わず農林水産省の役人になりました。
私は公務員として職務に精励してきたつもりです。でも、日本は経済成長路線を歩む反面でさまざまな矛盾や不均衡を深めながら今日に至りました。産業構造が変化するなかで中央と地方の格差は縮まらず、心理的距離は逆に拡大する一方です。私は「このままでは日本の農山漁村はますます衰弱する。人が住めない故郷になる」との思いに突き動かされ、政治家への道を決意しました。そして総選挙に二回挑戦。おかげさまで今、衆議院議員として働かせてもらっています。 子どもの頃、周囲の誰もが貧しかった。でも、不幸だとは思いませんでした。毎日を笑いながら過ごしていたように記憶しています。みんな、少しでも良い生活をしたい、少しでも住みよい町にしたい、その一心で一生懸命でした。祖父母、父母たちは私たちが想像すらできない苦労を積み上げて生きてきました。だから、自分たちも、見て、聞いて、感じるすべてを胸に刻み込み、先人たちの尽きぬ思いを大切に受け継ぎながら生きていく。そして、それらをしっかり未来に手渡していく。これが人と地域の歴史というものではないでしょうか。
生まれ育った故郷をキラリと輝く地域にしたい。それがみんなの願いです。そのためには地域に住む人たちが中心になって頑張らなければ。私はその先頭に立ち、地域社会のために、誠心誠意全身汗まみれになって仕事をしたいと思います。 これからもどうぞよろしくお願い致します。
(平成15年11月記)
|